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兵庫県立美術館「パウル・クレー だれにも ないしょ。」展


兵庫県立美術館にて開催中の「パウル・クレー だれにも ないしょ。」展に行ってきました。

僕の大学院時代の研究テーマであった『音と造形の関わりについての一考察』の一節で、パウル・クレーを取り上げるくらい自身の音楽表現に影響を与えた画家でした。

クレーは、音楽の可能性を自分の視覚芸術に生かすことにより、作品を特徴づける独特の手法を生み出していきました。 音楽における記号であるフェルマータをモチーフに作品を描いたり、ポリフォニー的な絵画を実践したり、音楽から得る創造が様々。 時間芸術と空間芸術の区別がわからなくなるほどの芸術。

自らが語った言葉、 「ただ無常なものからの抽象だけが残った。その題材はこの世だが、目に見えているこの世界ではない」 「僕にとっては中間の世界だ。そう呼ぶわけは、人間の五感が外的に捉えることのできる世界の隙間に、僕はその世界を感じ取るからだ。子どもや狂人、未開人には、その世界が今なお見えている。もしくは今ふたたび見えるようになっている」

これらは印象的であるし、大学院時代にはわからなかった言葉である。

人には見えないものがある。 でもその見えないものが見えている人もいる。 それは音楽をやっていて旅をして気づくことでもある。 子どもだったり、ちょっとおかしいくらいの人だったり、そんな人にしか感じ得ない世界が確実にある。 最近そんなことが段々頭の中で理解できはじめていた矢先のクレー作品鑑賞はとても刺激的でした。 久々に絵を描きたくなりました。 クレーの絵からインスピレーションを受けて生まれた音楽があるように、僕の音楽から生まれる絵画があってもいい。 僕もすべて音にしたいわけではない。 自分の描いた絵から音にするってのもわるくない。 なんだかわからないまま生まれるものには魅力はないけど、日々研究し努力し得たものがなんだかわからないうちに形になっていくのならそれは素晴らしいものだと思う。 クレーの多次元的な感覚を丸山茂樹の表現にいかしていきたいと思います。

最後に今回クレーの言葉をひとつ。

「第一に、助力をするためには人は愚か者でなくてはならない。第二に、愚か者の助力だけが本当に助力である。不確実なのは、その助力が果たしてまだ人間の役に立つかどうかだ」

兵庫県立美術館を出てすぐの歩道のマンホール。 クレーの作品のようで思わず撮影。

2015.11.13 丸山茂樹

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