丸山茂樹とそら祭り

2011.09.17
原点回帰



久しぶりの記事です。
ツイッターやフェイスブック、アメブロを見てくれている方は近況を知ってくれているかもですが、
日記は久しぶりです。

『そら祭り2011』まで1週間をきりました。
ドキドキしています。

今年の『そら祭り』は原点回帰。
5年も続いてきた『そら祭り』。
2007年に衝動的にはじめたこのお祭り、
自分でもなぜこんなにも熱を入れてやっているのかがわからなくなるぐらい不思議な感覚ではじまり、そして続いています。

この2週間ぐらい、ずっと初心を思い返していました。
日記という形を借りて、初心から今日までの想いを綴りたいと思います。

長文になると思います。
・・・が、そら祭り2011スタッフ、そら祭りに関わったみんな、
丸山茂樹に出会ったみなさんに読んで欲しいなと思っています。



さて、どうまとめればいいんだろう・・・。
それぐらい書きたいことが頭の中にあふれています。
考えすぎるのもどうかと思いますね。




今年のそら祭りをやろうと思ったきっかけは、去年のそら祭りの途中でした。

2007年からはじまり、
2008年、2年目にして全国5ヶ所に開催地が広がりました。
とても自然な形で、全国の仲間のやりたいという声の元、僕も一生懸命つくりました。
そこで自分の甘さや世の中の人間の愚かさや素晴らしさを痛いほど感じました。
ここで中途半端に終わってはいけない、しっかりと伝えきるんだと決心し、
プロデューサーとして『そら祭り』をまとめるんだと2009年に挑みました。
2009年、とても充実した『そら祭り』が出来ました。
新しい出会いやつながりがこんなにも関わったみんなに還元されていく。
こうやってこのお祭りを育てていけばいいんだと感じました。
そして、2010年。
自分の想いとは違う『そら祭り』が姿をあらわしはじめる。
もちろんどこの会場も素晴らしかったし、目的は達成されていました。
でも僕が本当に楽しめたのはごく一部。
もうそこには「そら祭り」の本来伝えたかった想いがなく、
良い意味でもあるけど、みんなのためだけのイベントになっていました。
もちろんそれでよかったし、そうなるように自分も伝えていたなと感じています。
鈴蘭台は自分の地元で父親とつくれたし、大阪も2年目の万博、京都も貴重な経験ができたし、
宮崎はもしかしたら一番『そら祭り』らしかったかもしれないぐらい仲間の絆が見えました。

でも気づけば、
2008年~2010年の『そら祭り』は、
自分がやりたかった『そら祭り』よりはるかに大きく背伸びしているようなイベントになっていました。

それで、『そら祭り』をもうやめようと思っていた時、
東京へプロデュースの勉強のため行くことが決まり、
さらに『そら祭り』をプロデュースしてきたことの意味を深く考えるようになりました。

そんな中、2007年にはじめた時の本当にやりたかった『そら祭り』を、
全国で広げるのではなく、第一回目開催場所の「播磨中央公園」でもう一度やりたいと思ったんです。
そして、ゼロからまたお祭りづくりをはじめました。




今年の『そら祭り』スタッフは、ほぼ新しく参加してくれるメンバー。
無意識にそんな集まりが生まれました。
これは今思うと何かを意味してるんだなと感じています。
新しく入ってきてくれているからこそ、一年目と同じような新鮮な意見やまなざし。
それが僕にもどんどん初心を思い返させてくれました。

2008年~2010年の間でたくさんのスタッフと出会いました。
何人というスタッフと交流してきただろう・・・。
2007年は、ガムシャラに思いついたこのお祭りを少しでも多くの仲間とつくりたい一心で声をかけ、
それで集まってくれたメンバー100名と一気につくりました。
それが2008年以降、実行委員長を筆頭に数え切れないほどのそら祭りに関わりたい人達と出会いました。
すべてかけがえのない出会いだったし、すべて記憶に残る大切な瞬間だったのですが、離れていく人もいました。
どうしようもないぐらい辛くて悲しくて、人が嫌になり、自分が嫌になりました。
それでも自分の伝えたいことを嘘なく、対話する人に本気でぶつけてきました。
それが相手をどれだけ傷つけようとも、あとになって後悔するような関係にはなりたくないからとぶつけ続けていくうちに、
いつしかそんなぶつけあいというか人間ドラマみたいなものが『そら祭り』の目的になっていたのかもしれない。
ある時からずっと、僕のわがままでこの『そら祭り』をやってきていたのかなと感じています。
それでもついてきてくれたメンバーや感動してくれる人達。人生が変わったと泣いている仲間。
でも苦しみや憎しみが生まれ、離れていく人達。
どれも必要な運命だったのかなと今では思います。きれいごとではなく・・・。
本当に伝えたい想いを通すとお互いを傷つけてしまう、でも隠して付き合うと人生に嘘をついてもっと傷ついてしまう。
どうしたらいいんだろうと思っているうちに時が過ぎて、今になる。
僕も何度も何度も死にそうなぐらい辛い経験をしました。
それでも『そら祭り』をはじめた衝動は間違いないから、なんとか続けてこれました。


そのはじめた時の初心を、
冒頭にも書いたようにここ数日考えていると、
その衝動を伝えることを怠って、ただぶつかることだけが『そら祭り』になっていたことに痛いほど気づく。
もちろんそのパワーがあったから、良いこともあったかもしれないが、
もっとシンプルに伝えられたのではないかと感じています。
出会ったすべての人達がいたから、このお祭りは続けてこれました。誰一人欠けていてもできていない。
自分の想いではなくなってきたとさっき書いたけど、そのお祭りも本当は自分の鏡だったと気づく。
離れていった人も新しく出会った人も、このお祭りで何か力を得た人も、すべての人に感謝をしたい。

今年の『そら祭り』をやることを決めたのも、
こうやってつくっていく中でこういうことに気付くためだったんだと実感しています。




その初心。
今、2007年の自分のノート日記を読んでいます。


2007/1/24
「自然と人と場所をつなげる」
したい!ではなく、しなければならない!
「社」という町に大学生活で住み、ここのおかげで様々なことを考え、活動できてきた。
その町を知ってもらいたい。自分の音楽の原点を知ってもらいたい。
そして、こんな良い場所があったんだと思ってもらい、またそれが人に伝わり、
新たな場所を探す意識が生まれる。
自分たちの住んでいる場所や好きな場所がいいところだったんだと気づき、新しい交流が生まれる。
自分の「居場所」を見つけ、どんどん考えをめぐらす。
そんな空間を丸山茂樹の「音楽」を通してできたらいいじゃないか!

つくりあげてきたものを渡しても伝わらない!!
みんなつくったものを届けなあかん!!

「遊び」の中でその場所や人が豊かになる = 音楽を通してその演奏した場所や人が「学び」を得て豊かになる

同じことなんだ。
音楽の必要性を考えたい。


こんなことを書いています。
この時はまだ『そら祭り』という名前も考えていなくて、とにかくこんなコンセプトで「場所」を意識してやりたいんだ!
と叫んでいます。
すごいシンプルだったことに自分でも驚きしかないです。
でも今悩んで悩んで少しずつ出てきた答えが、実は最初に語っている言葉だということに気づく。
自分でどんどん複雑にしてしまっていたのかなと・・・。
僕の考えが広まっていく中で、人を育てたいとか、もっと伝えるべきことがあるとか、
さっきも書いたようにぶつかって信頼できる仲間づくりができなくては伝えたいことも達成できないと思ったのか、
目的が感情面に偏ってしまっていました。
自分の弱さ故だなと感じています。


さらに、もっと初心に返ると・・・。

19歳の時に、大学のある「社」という町に住みはじめました。
そこで、「教育」と「旅」、その中で出会った「音楽」との深い関わりが生まれました。
「教育」の勉強のおかげで自分の子ども時代の嫌なことがクリアーになったり、
伝えることの大切さを知ったりと大学院まで6年間充実した日々を過ごせました。
そして「旅」です。
19歳の夏休みに沖縄へ、初一人旅。その時に三線の人間国宝の方と出会いました。
さらに島の友達が信じられないぐらいたくさん出来、滞在も1カ月近く延びてしまいました。
その時に出会った沖縄民謡。
ラブソングやメッセージソングではない、ただの日常を綴った歌がこんなにもいいメロディにのって歌い継がれている。
そこに感動してしまい、音楽をやることを決めました。
民謡のように残る音楽をつくりたい。
そして、その島での多くの出会い。
音楽と旅の中での出会いで、こんなにも人はかわれるんだと感じました。

そこから「社」に帰ると、そこの自然に初めて感動しました。
こんなに素敵な自然がある。残したい風景がある。なんで気づかなかったんだろうって。
すぐさま曲づくりをはじめて、ミュージシャンへの道がはじまりました。


だから、この「社」という町がなければ僕は音楽もやってないし、旅もしていないし、『そら祭り』もやってないし、
今やっていることがほとんど形成されていなかったんだと思っています。

そして大親友との出会い。これも大きいです。
大学での出会いでしたが、僕が今まで感じていた疑問や1人で悶々としていたことを全部ふっとばしてくれた奴です。
そいつの考え方のおかげで、音楽も旅も生き方も180度変わりました。




『そら祭り』って何??って言われ、いい言葉を見つけようとずっとしてきた。
わかりやすく表現するには・・・
もっとスタッフが理解できるように・・・
メディアが取り上げやすいように・・・
いろんな意見の中で考えさせられてきました。

でも今ならはっきり言える。
『そら祭り』とは、丸山茂樹の「社」での生活から培った生き方そのものです。

なに?その素朴でよくわからない表現は??って言われると思います。
でもやっぱりそれしかないんです。

2008年~2010年の『そら祭り』、
確かに大きく意味のあるものにはなったし、僕が考える想像以上に大きなアクションになったし、
それはとても嬉しくこれからも伝えたいことがたくさん生まれました。

だが、やはり最初は自分の生き方を変えた「音楽」を大切な「場所」で届けたい!というのが願い。
その考え方が人々のためになると信じてやまなかったからこそはじめました。


僕が旅で感じた「大切な場所」。
そこから生まれた「音楽」や「言葉」、「考え方」、「生き方」・・・。
だからこそ、まずは「大切な場所」に気づけば、何かのきっかけが生まれると思ったんです。

それをみんなの目的に合わせて、この3年間はやってきたんだなと今では思います。
もちろんその目的に伝えたい要素が含まれていたからなのですが・・・。
その3年間で、わからないまま無理矢理プロデューサーとして役割を担ったことで多くの勉強ができました。

『そら祭り』での経験で本当に人生が変わりました。
だから、『そら祭り』そのものが僕にとっての一番の「場所」になったんです。

今、東京に住むきっかけになったのも、
2009年のそら祭りの中で出会ったプロデューサーさんとの出会いから。
何気ない悩みを話していた中、東京へ行き、仕事を生活をしてみては?というお話があり、
いつも直感で動く僕は、自分のプロデュース能力を確かめたくて決断。
これも「そら祭り」がなければ起こらなかった出来事だからこそ、感慨深いものがありました。
そして、今、彼は『上を向いて歩こう』という日本のスタンダードナンバーについて研究しており、
僕も微力ながら関わらさせていただいています。
沖縄民謡で受けた衝撃である、「残る音楽」。『上を向いて歩こう』のように「残っていく音楽」。
そんなことを今、勉強できているのも、『そら祭り』があったから、「音楽」を「社」ではじめたからだと思っています。

今は、シンプルに『そら祭り』=丸山茂樹だと言えるようになりましたね。




すごいこじつけかもしれないけど、
やっぱりすべては「音楽」をはじめたからなんだと思っています。

『そら祭り』をはじめてから、
プロデューサーとして活動している自分とミュージシャンとして活動している自分が2人いて悩んできました。
何気なくはじまったその人生。
ある時から、ミュージシャンへの負担がかかってきました。
そんな中、先ほども書きましたが、プロデューサーとしての素質を買われ東京へ行くことを決意。
いろいろと勉強できることにワクワクしていましたが、また『そら祭り』を今年つくっていく中で悩みました。
そして、先日5年ぶりに4th Albumのレコーディングをしたんですが、
その時にやっぱり「音楽」をしていないとだめだと思いました。
どこかプロデューサーとしてやってやるんだと力んでいたのかもしれません。
アルバムが出来、タイミングよく大先輩方に聴いていただき、しっかり「音楽」やったら?と言われました。

プロデュースは人生の中でずっと勉強できること。
でも音楽は出来る人しか出来ないし、生まれるときにしか生まれない。
もちろん向き不向きはあるかもしれないが、
自分がプロデュースに関わったきっかけも、やはり音楽をプレイヤーとしてやっていたから。
それを忘れてはいけない。
「音楽」を追求する前に『そら祭り』をはじめてしまったから、
もっと「音楽」をやりたかったのに!と今になってふつふつと感じているんだと思う。

プロデューサーとミュージシャンという真反対の行動を同時にやっていたからこそ、
『そら祭り』は生まれました。
そのことを今では、はっきり理解できるから「音楽」を追求する中でプロデュースを勉強していきたい。
今の思考だったら、『そら祭り』はやってないと思います。
24歳のガムシャラに動いた、「音楽」への思いや疑問、世の中への不満などがお祭りをつくらせたんです。




だから、この「音楽」が『そら祭り』を活かしてくれているんです。
そして、その丸山茂樹の「音楽」は「社」という町があったから生まれたもの。
その『そら祭り』がなければ、この5年間で出会った人や感じた事もなかったことになる。

それを今年、「社」という町で『そら祭り2011』を開催する。
自分にとっては、ここ最近になって涙がとまらない瞬間が続いています。
この日記を書いている途中も・・・。

今まで関わってくれた仲間や、今年のメンバーにとって、
オレの「音楽」への想いや、「社」という町は、大した原動力になってないかもしれないけど、
この初心があったからみんなと出会えているということをオレは誇りに思いたいんです。

スタッフとも出演者さんともブース出展者さんともお客さんとも、みんなで「大切な場所」を感じあいたい。

伝えたい場所があって、伝えたい人がいて、伝えたいものがあって、伝えたい音楽があって・・・
それだけでいいんだ。


このお祭り、たくさんの想いがつまっています。
オレがこれだけの5年間の想いを、いや10年間の想いを書きましたが、
スタッフや関わってくれる人達みんなにもこれぐらいエピソードが実はあるんじゃないかなって思っています。
オレも昔は気づけてなかっただけで、心の中にずっとある想いなんだと思っています。
スタッフも一人ひとり違う想いで関わっています。
その想いがお祭りをどんどん進化させていく。
『そら祭り』に大きな目的はなく、みんなにとっての目標の一歩になればいいと・・・。
それが『そら祭り』で大切にしてきたことです。

スタッフはみんなボランティアで、
交通費やMT費用、そして時間も何もかも自分たちの意思で『そら祭り』に注いでくれています。
ずっと書いているけど、オレのわがままかもしれないこの『そら祭り』を、
真っ直ぐにスタッフとして動いている。
というか自分のことのようにつくっている。
オレがなんで??って思うぐらいに。
本当にスタッフ達がいなければこのお祭りはできていない。オレ一人では何もできていない。
でも『そら祭り』の想いはこの日記で書いてきているように、オレの考えと想いで生まれました。
それがこんなにもみんなにとっての『そら祭り』になっていることに、まだ自分でも理解できないところがあります。

みんなに強く思いをぶつけ、時にはひどいことを言ってるかもしれない。
本当はオレも弱くて、みんなに言っていることを自分に照らし合わせているだけかもしれない。
その度に、オレも成長させてもらっている。

だけど、そんな深く関わるスタッフだからこそ、
オレは自分の想いを、みんなの想いをちゃんと形にして、当日伝えなければいけないと思ってがんばれる。

今までのスタッフにも、今年の大切な仲間のスタッフにも、
祭りを成功させて、みんなの想いを形にして、そして感謝を込めて歌いたい。

本当にみんなありがとう。

そんなスタッフにも会いにきてほしいんです。




まだまだ書きたいことがたくさんあります。
でもこれ以上書いても書かなくても、『そら祭り』は当日来ないとわからないお祭りです。
人がつくって、その場所でしか感じられない生モノです。

僕のシンプルな気持ちは、

19歳の時に「音楽」をはじめ、その時に生まれた曲達(特に『一本道』)を歌い届け、
「播磨中央公園」という大好きな大切な場所を伝えることで、
みんなにいろんな気づきを与えたい。

ただそれだけです。

「はりちゅう」で生まれた曲、テーマソングにもなっている『HOME』もここで歌う意味がある。
やっと、この曲も歌われるべきところで歌われるんだなと思うとワクワクします。

今まで『そら祭り』に関わったみんなに、今年関わっているみんなに、これから出会うすべての場所・人に、
楽しんでもらう一日をつくります!


みなさん、そんな『そら祭り』に出会いにきてほしいです。

9月24日&25日、播磨中央公園でお待ちしています!

あなたにとって大切な場所になりますように・・・。




2007年の自分の過去日記に悩んでいる言葉がある。
「なんで場所なんだろう?」って。
その答えがやっとわかった気がします。

みんなそれぞれ「大切な場所」でやりたいことがある。
その「場所」がなければできなかったこと、出会えなかった人、守れなかったもの・・・。

そんな「場所」が増えれば、人はつながっていけると思ったんです。
つながりって軽いものでもないし、重いものでもない。
ただの直線でもなければ、丸い輪でもない。

一人ひとりに小さな輪っかがあって、それを「場所」が包んでくれている。
この地球で、日本で、育った街で、生まれた街で、今いるところで・・・。



2007/7/21

すべてがはじまりました・・・

「あなたの大切な場所はどこですか?」

そして・・・

2011/9/24,25

新しい出会いがはじまります。







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